つむぐ 被爆者・副島京子さん(87)、記者・松島研人(31)
どんより曇った夏の日、トンボ採りに夢中だった1人の少女が体験した話です――。
手書きの手記が、被爆80年アンケートに同封されていた。A4ノート10ページにわたる体験記で、タイトルは「原爆と私」。手記を書くのは初めてだとも記してあった。
アンケートに記された住所に手紙を送ると、30年来の知人だという女性から、今は老人ホームにいると返事があった。名古屋市にあるホームに連絡をとり、手記を書いた副島京子さん(87)に会いに行った。
部屋に入ると、副島さんは1人でくしで髪をとかしているところだった。名刺を差し出すと、「あれあれ、若いのね」と笑った。
鼻には酸素を送るためのチューブがついていた。補聴器をつけていたが、それでも耳が聞こえにくく、筆談も交えて取材した。質問を画用紙に書いて見せると、震える手でペンを握り、しっかりとした筆致で思いをつづり、語ってくれた。
副島さんは、爆心地から2.2キロの長崎市江の浦町に住んでいた。祖父母と母と伯母との5人暮らしだった。
80年前の8月9日は、蒸し暑い曇りの日だった。手記にはこう記してある。
《日頃わがままを言わない祖…